旧 田口線 大久賀多隧道 入道ヶ嶋隧道

半世紀余の時を超え、廃線跡を辿る

Chace the Shadow of OLD TAGUCHI Railway

















 

古(いにしえ)のローカル線はどこを走っていたのか、、、号外 - 大久賀多積込場 & 鮎渕臨時停車場

 清崎から先、なかなか訪れる機会がなく一度しか出向いたことがなかったが、今回気になる事があったので設楽ダム工事で通行止めになってゐる場所まで足を延ばしてみた。 気になることとは・・・田口線に触れている某サイトの記載にて、大久賀多隧道群の場所(画像)と隧道の名称が一致していないのを見つけたからである。 果たして、何が正解なのか?自分の目で確かめたいと。

 もう一つは、田口線を紹介している有名サイトで「大久賀多積込場」に触れた記事を読み、この地を撮影してゐなかったので撮りたかったのもある。ついでに 「鮎渕臨時停車場」付近の撮影も行った。古い遺構ゆえ、いったい何が正しくて間違っているのか?確かめる手段も少なくなってきたのだが、とりあえず現地に行けば何か得られるのは間違いのない所であらう。

 前回は「道の駅したら」の臨時駐車場に車を停め、徒歩で通行止め地点まで歩いたが、今回は雲行きが怪しい(降雨)のと時間が限られていたため、クルマで鮎渕まで侵入した。




 通行止め表示看板の向こうが「大久賀多第三隧道」と「三河田口駅跡」へ繋がる廃道となる。
 ここまでは緩い上り勾配だが、この先は第三隧道手前まで下り勾配が続く。  

撮影:2025年6月25日




 通行止め地点から大久賀多第二隧道(清崎方面)へ向かう際、渡る短い橋梁。
 画像右に写る、ガードレールが橋梁の長さを表している。路面の継ぎ目も確認できやう。

 撮影:2025年5月1日




 同橋梁を横から写してみた。撮影方向は田口駅方面。
 
 撮影:2025年5月1日

大久賀多隧道群





 大久賀多第二隧道。田口側から清崎方面を望む
 現在、訪れることの出来る三河田口駅に最も近い隧道となる。    

撮影:2025年6月25日




 大久賀多第二隧道・清崎側坑口に立つ「第二トンネル」看板。
 新しい看板にしたら、それはそれで歴史を感じられず味気ないであらう。

撮影:2025年6月25日




 大久賀多第二隧道・清崎側坑口の手前、右側にある名瀑(笑)
 前日の雨のせいで流水量はとても多かつた。

撮影:2025年6月25日




 大久賀多第一隧道・田口側坑口 鮎渕51号瀬
 隧道を出ると釣り場「鮎渕」への降り口がある。先には、右側に開けた場所がある。

撮影:2025年6月25日







 釣り場「鮎渕」付近の開けた土地。現在なら鮎釣りに来訪する車の駐車場であるが、
 田口線現存当時は、このあたりに臨時停車場があったのではないか?と推測する。
 残念ながらそれを裏付ける遺構と思しき物は何も残っていないが・・・他に候補がない
 画像上は田口方面、画像下は清崎方面を望む

 勝手な妄想だが、臨時停車場とはいえ列車への昇降にはそれなりの高さを有するプラットホームが要る。
 利用期間のみホームを設置するとは考え難い。常設だったとしたらば、開業時のみそちらへ列車を導く
 引込線があったのではないだらうか?と思へてならなひ。もしそうであれば、この鮎渕のスペースも納得できる。

 この駐車場の対面となるガードレールの外側に駅があったのでは?との記事もネット上で見受けられた。
 ただし、それを証明できる確固たる資料はないようだ。

撮影:2025年6月25日





 気になる場所がないわけではない。それが画像の石積みである。右の樹木を見れば一目瞭然だが、
 人為的に積み上げられた石積みの手前に樹が生えている。廃線後に用地を広げたと仮定したらば、
 この画像をどう説明すればいいのだらう? 興味はつきない。

撮影:2025年6月25日




 「道の駅したら」にて展示されている田口線車両内にて掲示されている路線略図。
 全体図を見ればわかるのだが、アバウトながら侮れないのである。隧道名が記されていないが、
 路線上の位置関係やその数は現実に即している。

撮影:2025年5月1日


☆☆☆ どうやら鮎渕臨時停車場は大久賀多第一隧道を抜けた、田口方面に向かって左側、
つまりはガードレール側にあった可能性が非常にたかい。田口線車両の写った古い画像に、
この「鮎渕」の広いスペースと思しき前を通っているものが見つかった。そこには私が妄想
逞しく思い描いていたプラットホームは微塵にも写ってゐなかったし、件のスペースも現在
ほど広くないのである。もう一度、この地へ足を運び、確かめてみる必要があらう・・・ ☆☆☆ 


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 大久賀多第一隧道

撮影:2025年6月25日






 大久賀多第一隧道坑口に立つ「第三トンネル」の看板。劣化が激しい。

撮影:2025年6月25日






 大久賀多積込場跡。田口方面を望む。

撮影:2025年6月25日




 大久賀多積込場跡。清崎方面を望む。引込線があったと思しきスペース。

撮影:2025年6月25日




 大久賀多積込場跡。バラストも散見され、かつて路盤(軌道跡)であったことを物語ってゐる。

撮影:2025年6月25日


入道ヶ嶋隧道群





 入道ヶ嶋第二隧道。田口側坑口。

撮影:2025年6月25日






 入道ヶ嶋第二隧道。清崎側坑口。

撮影:2025年6月25日





 寒狭川第四橋梁「高鉄橋」「平野橋」とも呼ばれる。  田口方面を望む

撮影:2025年6月25日





 入道ヶ嶋第一隧道。田口側坑口。

撮影:2025年7月1日






 入道ヶ嶋第一隧道。清崎側坑口。隧道を抜けると寒狭川第四橋梁となる。

撮影:2025年7月1日



隧道名の相違

 編集時間がないため「取り急ぎ」のアップロードとなるが、どうやら清崎 - 三河田口間の隧道名が2通りのルールによって分類・紹介されているようだ。 三河田口を起点として清崎方面へと進んでいくと、最初に潜る隧道が「大久賀多第三隧道」とするルールと「大久賀多第二隧道」とする2つが存在している。

 今回、私はそれが「疑問」となり、これら隧道への再来訪となった。隧道の「番手」がズレるとそれがあとへとしわ寄せになり、おかしな事態を招く。 営業開始から90余年、ましてや廃線となり50年以上が経過しているため、その呼び名が変わってしまうのも無理はないのかもしれない。

 私を最も戸惑わせたのは、寒狭川第四橋梁・・・通称「高鉄橋」を挟むふたつの隧道の名称である。どちらの「ルール」に則っても、田口側は 第二入道ヶ嶋隧道、清崎側は第一入道ヶ嶋隧道となっている。じゃあこのズレを緩衝しているものは何か?というと「第三入道ヶ嶋隧道」となる。 スタートが「第三」と「第二」となっているのだから、順序良く埋めていくと片や 「大久賀多第零隧道」となってしまう。さすがにそれはないだろう・・・と「第三入道ヶ嶋隧道」になったのではなかろうか?

 この際、私の基準を決めたいと思ってこれをアップした。手元にある資料は田口線廃線50年記念の際に出されたもの。 また、道の駅したらで行われた森林鉄道イベント時に入手したものである。どちらも三河田口駅を出て最初に潜る隧道を「大久賀多第三隧道」としているので、これに倣う。 言い換えれば「第三入道ヶ嶋隧道」は有り得ないのである。しかし平成に入ってから分類された資料には「第三入道ヶ嶋隧道」と記載されたものもある(らしい)。 まことに面倒な話ではあるが・・・私個人としてHPへアップするものについては田口線開業当時の名称を優先したいと思う。ご了承いただきたい。





   

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