2025年5月13日・14日、未到達であった二つの田口線隧道へ向かってみた。編集時間が無いので、単発で撮影画像とコメントをアップしておこうと思ふ。
13日は未踏破であった峰第二隧道。14日は清崎第一隧道である。
前回の峰隧道群撮影時に第二隧道は、装備の不備や撮影用タブレットのバッテリー切れにより撮影するに至らず終わってゐた。第一隧道から第二隧道へ移動するにあたり、 距離的なハードルは無いが崩落などによる足場の荒廃が進路を阻んでしまふ。また昼間と云えども隧道内部は暗く、足元の状態が把握出来ず危険も伴う。実際、 私は第一隧道内での移動中に転んでしまった。雨水や漏水により路面がぬかるんでゐたのも要因であらう。
今回は第二隧道へアクセスするのに、第三隧道との間にあったはずであらう築堤が分断された場所から侵入を試みた。前回の第一隧道内でのトラブルを避けたいのもあるが、
直接第二隧道へ向かうことで、探訪時間を短縮したかった意図もある。昼休み時間を利用してゐるが故、尚更である。
道路を挟んで右側が峰第二隧道方面、左側が峰第三隧道方面。田口線現存時代はこの切り通しはなく築堤が繋がって居た。
この斜面の上に峰第二隧道の坑口があるはず・・・
列車は坑口を出て、次の第三隧道へ向かって行ったであらう・・・
第二隧道を背に分断した築堤を望む(傘川橋梁方面)
画像左、高台は向かいの峰第二隧道出口へ向いてゐる。(三河大草駅方面)
右側、下り道は切り通しへ繋がる。背面には、深い切り通しと峰第三隧道が見へる。
峰第二隧道内部。向こうに見えるのは第一隧道の坑口。
入口は崩落した土石が路盤を埋めてゐる。
隧道内部に打ち捨てられてゐる原付バイク。 灯り無しで隧道を進むのは危険である事実。
第一隧道出口から第二隧道側を望む。土砂や岩石、枯れ木などが2メートル近く堆積、行く手を阻む。
第一隧道出口から富保隧道を望む。築堤の拡張ぶりが見て取れる。
小型車が写ってゐるので、その規模も容易に想像出来やう。
撮影日:2025年5月13日
峰第二隧道、坑口の前後は岩や土砂で埋まってゐる、その一言に尽きる。
廃線になる日の直前まで土砂に泣かされた田口線の弱点を見るかのやうだ。
以前、長原前駅の探訪にて軌道跡を南へと移動した際、清崎第二隧道を越えたのち、2つのIビーム橋梁を経て清崎第一隧道が存在するのだが、ここへは未到達のまま。
理由は橋梁を渡れなかったため。綱渡り状態で3〜4メートル高の橋桁を越えるのは至難の業、肝の太さも必要とされる。今回は意を決して敢行したが・・・
また前回撮影し損なった長原前駅周辺の様子と再度考察を試みた。
清崎隧道群は、田峯駅側(上り方面)から、第一、第二、第三、と3つ存在する。長原前駅にあったのが第三隧道で現在の清嶺トンネルに吸収される。
清崎第一隧道は351mあり、稲目隧道、麹坂隧道に次ぐ長さを誇る。寒狭川(豊川)を挟んで現在の国道257号線対岸にあるためその存在感は薄く、
私自身、長原前駅の探索をしなければ見落としてゐたままであっただらう。
実際には長原前駅跡から田峯方面へ移動してゐるのだが、逆順で画像を紹介する。まずは橋梁跡からである。
川水面から5メートル以上の高さにあり、とてもじゃないが足がすくんで渡る氣にはなれなかった。
落下しようものなら骨折程度じゃ済まないであらう。
立派な桁が掛かってゐるが、橋梁名が付けられてないらしい・・・。これを渡って軌道跡を進んでもその先は崩落していて
田峯方面には辿り着けない。個人的には崩落場所を確認したかったのだが。。。
清崎第一隧道、長原前駅方面を望む。倒木が凄まじい様相を呈してゐる。
反対側の坑口が小さく見えてゐるのが分かるだらうか?
撮影方向は田峯方面。出口付近に巨大な岩石が!右側壁上部から崩落しているやうだ。
こんなのが落ちてきたらひとたまりもない。簡単に通れるからと云って危険が伴う事を忘れてはいけなひ。
花崗岩であらう。長石や石英がキラキラしてゐる。風化しやすいのか、坑道内で崩落した岩があちこちで散見される。
坑内脇に線路の枕木に使われたと思しき木材が何か所かで確認出来た。何故わずかに残されたのか不思議である。
路盤にも枕木の跡らしき「くぼみ」が見受けられた。悲しいかな持参した装備では光量が足りず撮影出来なかった。
長原前駅方面出口付近にて、風化した花崗岩が砂利状になって坑道内へ崩れていた。
コンクリート壁の天井の外側は空洞化してゐるのではないだらうか?隧道の寿命は長くないであらう。
間もなく100年が経とうとしてゐる・・・当然の帰結か。
清崎第一隧道坑口、田峯方面を望む。こちら側の荒廃っぷりは向こう側に比べれば少ない。
西山橋梁。誰が置いたか定かではないが、踏板が2本掛かってゐる。だが、右側の踏板は腐朽が進んでおり、
体重を乗せると間違いなく折れる。左側の踏板は強度はあるが、底面が曲面のせいか左右にグラグラし安定しなひ。
これに乗って渡るときには注意しなければならない。今回は左側の踏板を使い渡った。
右側の沢へ降りて対岸へ移動も可能だが、田峯側から長原前側へ行く時には両手がフリーになっていないと無理。
片手だけでは足場が悪く下りられない。向こうから田峯側への移動は何とかなる。画像は長原前駅方面を望む。
立ち入り禁止区域となっているので自己責任においての行動と認識されたし
短い区間にIビーム橋梁が連続する。こちらには正式な名称が付いていない。
山側の沢を渡れば迂回が可能。
危険が伴うので橋桁上の移動は極力避けたい。
清崎第二隧道(119m長)・田峯側坑口。1/3近くが土砂で埋まってゐる。廃線2日前の台風被害の跡だらうか?
清崎第二隧道・長良前側坑口。
清崎第三隧道・田峯側坑口。画像右側が高くなってゐる。当時の軌道はこれに沿って高くなってゐたのではと推測する。
ならば、隧道出口が高い位置にあるのも頷ける。ホーム跡は完全に流出したのだらう。
清崎第三隧道・長良前坑口。ポータルは丸ごと土砂崩れで崩壊し持って行かれたやうだ。
昔の長原前駅の画像を見れば立派なポータルが確認出来るが、現在では全くその形跡はない。
清崎第三隧道・長良前坑口。ポータル崩壊の規模を物語ってゐる。
清崎第三隧道坑口より、軌道・ホーム跡方向を望む。残されたポータル跡が痛々しい。
清崎第三隧道坑口より続く左側法面の石積み。過去の映像と比べてみると分かりやすいであらう。
撮影日:2025年5月24日
車両左側法面の石積みが、先出画像の石積みではないかと推測するが如何なものだらうか?
ならば、石積みのすぐ前を軌道が通っていたことになる。現在の軌道跡に照らし合わせてみる価値はあらう。
軌道(線路)、駅舎、ポータル・・・各々当時の位置関係を現状の景観に重ねれば、おのずと解は導かれるはず。
雑な書き込みで申し訳ないが、黄線が坑口、白線がポータル、水色線がレール、赤線が停留所のつもり。
こんな感じになるのでは?と妄想全開してみたのだが・・・
===== 大昔の田峯駅全景 =====
現在の257号線を照らしてみると、なるほど駅や軌道跡地を道路に転用したことがわかる。
第二寒狭川橋梁の架線柱も伺える。この先、清崎隧道群と長原前・清崎へ続いていく。
森林鉄道用の隧道も興味深い・・・。
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